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東京都写真美術館「風景論以後」展

この展示の基礎となる風景論は、批評家の松田政男に代表される、都市化し均質化した日本の風景は国家と資本による権力そのものだとする議論。

展覧会は現代の笹岡啓子から始まり60年代の起点(大島・若松・足立)まで遡って再びもどる円環構造。キュレーションは写美の田坂博子氏。

わたしが充分理解できているかは心許ないのですが、意欲的な展示だと思いました。
とくに第二章が面白かった。
今井祝雄の映像作品は、横断歩道で信号が青になるのを待っているだけの日常的な記録映像なのだが、信号待ちというのが制度に従う行為あり、映像を見ながら待機の時間を過ごすことで、その制度が展示室に持ち込まれ炙り出されるところが面白い。
崟利子の伊丹シリーズは、まさに風景論以降の風景、どこにでもある風景に見えるが、生活拠点という作家の実生活によって選ばれた場所であって、そこが先行世代と分かれるポイントだと思う。どこにでもある場所は、自分が居る限り特定の場所である。

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