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「音を聴きに来てる」言説って、結局、「身体の忘却」という事態に結びついている。しかし、忘れることなんてほんとはできないので、「身体の忘却」を可能にする思想的かつ実践的な立場があって、それを身をもって会場でパフォーマンスすることで、楽音以外の要素を含みこんだ形で音楽文化を作る立場に対抗する言説を作っているに過ぎない。それはアーティストと他の観客だけじゃなくて、音楽文化を作ってる楽音以外の無数の要素を無視しているので有害だと思うが、「音楽は聴く(だけの)ものだ」という建前がある以上、可能なオプションの一つになっているようにも見える。

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