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「日本に奴隷はいなかった」説もどうかと思う。薩摩藩の支配下に入った奄美大島には「家人(やんちゅ)」という債務奴隷がいた。結婚には口出ししなかったようだが、ほとんどの家人は家族ぐるみで家人になるので、結婚の自由があったわけでもない。居宅も労働の種類も主人が決めるし、移動(逃亡)は厳禁だ。
家人同士の子供は「膝(ひざ)」と呼ばれた。債務を返して勝手人(自由人)になることもできない身分で、由緒人の取引に使われることもあったというから、これはどんな見方をしても奴隷というしかない。
1603年から明治維新の後まで、奄美大島にはそんな奴隷制度があった。

もっとも「日本に奴隷はいなかった」説をとる人たちにとって奄美大島は日本ではないのだろうけど、これと似たような小作農はあちこちにあったんじゃないのかな?

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そんな家人制度の運用もいろいろで、重い税を軽くするために集落ぐるみで家人に入り、集団農場を運営していた集落もあるから油断はならない。

いろんな形態があるんだよ。

ちょいと補足。膝素立開放令は明治4年、人身売買禁止法(娼妓解放令)は明治5年。これらの法律は身請け金なしで自由人になる法律だったけど、なぜか島では身請け金を借りて解放する話にすり替えられた集落も多かったらしい。
結局、解放されなかった家人や膝素立は明治18年ごろまで一揆や騒動を交えて自由を勝ち取った。