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2020年、ある本の書評で、こう書いた。

 「国民の物語」にファクトチェックで対抗することには限界があるのは、まったくそのとおりだ。しかしポジティブに「良質な「国民の物語」」を対置するのはどうか。
 初期の「つくる会」で理事を務めた故・坂本多加雄は、歴史教育の目的が「国民意識の形成」だとしたうえで、だからこそ「日本国民の物語」を創出するべきなのだと呼号した。これは、歴史叙述が「物語」形態を取ることや、司馬遼太郎や山岡荘八的な「国民的」歴史読み物とは次元が異なるもので、坂本自身が言うように「国民統合という課題に応える」装置としての「国民の物語」なのである。
 もちろん、坂本は早い時期に死去したために、その後の凡百の右派イデオローグによる歴史修正主義の展開が、そうした戦略的問題意識にのっとっているとは言い難いかもしれない。けれども百田尚樹名義の『日本国紀』を詳細に観察してみれば、東京裁判での弁護側冒頭陳述に端を発するさまざまな右派イデオロギーが、ネタとして無節操に取り込まれ・流れ込んでいる「物語」であることがわかる。そしてその「物語」がめざすのは、同書「序にかえて」に「日本人の物語、いや私たち自身の壮大な物語」とあるように、彼らが思い描いた「日本人」的自覚の形成にある。単なるトンデモ本ではないのである。

以下は文字数の関係で掲載原稿からは削った部分。

「国民の物語」を語るのは誰なのか。坂本はそれを意図的に明らかにしないままに終わったが、「国民の物語」が個人の来歴の語りに擬されていたように、そこには「日本人」あるいは「日本国民」といった主体が立ち上げられている。だからこそ「つくる会」をはじめとする右派は、恣意的な「日本国民」「日本人」像を創造し、自らがそれになりかわって「国民の物語」を紡ぎ出す――という言説の形式をとってきた。ネット右派のSNSのプロフィールに「普通の日本人」なる語が一時期頻出したのと同じ構造である。

今日的に付け足すならば、歴史叙述(あるいは歴史的認識の枠組み)の「物語り(ナラティブ)」性と、「国民の物語」という名の国民統合のイデオロギー装置とを区別してない議論が散見される。
このあたりについて野家啓一さんは『歴史を哲学する』(岩波現代文庫、2016年)で次のように指摘している。

「もともと「歴史の物語り論」はダントーによって、無色透明な語り手によって超越的視点から語られる「唯一の正しい歴史」といった実体論的観念を破砕するためのアンチテーゼとして提出された議論でした。それゆえ、物語り論は「自国の正史」などという陳腐な観念とは対極に立つものであり、逆に「国民の物語」といった統合的表象を解体するための批判的概念装置にほかなりません。
……
物語り行為の遂行的性格は、歴史を物語るという行為が、どのような場面で誰が誰に向かって語るのかという言語行為のもつポジショナリティ(立ち位置)を明らかにします。それは「語り手」の位置がもつイデオロギー性をも暴露せずにはおかないでしょう。歴史の物語り論のもつこのような批判的機能をいっさい捨象して、坂本さんのように無媒介に「歴史は物語である」と主張してそのフィクション性を一面的に強調することは、「物語り論」の立場からすれば羊頭狗肉の詐術と言わざるをえません」(33-4頁)

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