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ポリコレ配慮の作品を見た時に制作サイドの意図とか忖度が見えてなんかイヤ、みたいな気持ちになるのはまぁわからんでもないけど、ポリコレ以前だってそういう意図や忖度はマーケティングの結果行われてきたわけで、今まで無邪気にそれに気づいていないフリをしていられたってだけじゃんと思ってしまうんだよな

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@Wasisisi

そうですね!地域文化によらず芸術作品、特にエンタメ商業作品は一般大衆から集金しなければならない都合上、社会規範の影響を少なからず受けていたはずですね。そして「社会規範に沿わないと大衆に売れない」という想定は制作サイドに常にあったはず。

ポリコレ的な潮流も、例えば「商業的にそうしないとグローバル市場でウケないから」という想定が制作側の根底にあるとすれば、ポリコレ隆盛以前となんら変わらない商業的な合理性の表れとして理解することもできます。そのように理解する場合、消費者は反倫理的な立場に立たないとポリコレへの批判材料を持ち得ないことになるんじゃないかと個人的には思います。(なんの先行研究も分析も読んでないので、素人考えに過ぎないのですが)

@Wasisisi 史実を捻じ曲げたり不正確な描写をしたりすることに対して違和感を抱くのは自分も同じだけど、そういった不誠実な表現はポリコレ云々とはまた独立に存在する問題なんじゃないかと思う。ポリコレを配慮しようがしまいが不誠実な制作者は不誠実な表現をする(政治的な態度に限らず制作コストやわかりやすさが不誠実な表現を採用する理由にもなる)。このような不誠実な表現を批判する時、批判者の態度は必ずしも反倫理的と見做す必要はないと思う。

“ポリコレそのものやそれに配慮しようとする制作者の態度それ自体を批判しようとすること”と、”制作者が不誠実な表現を行うことを批判すること”は、それぞれ異なる価値基準に基づく批判故に議論を分けても良い。という立場なのかな自分は…と思います